何のために生きるのかが34年(もうじき35年)生きてて未だにわからない

自殺願望があるわけではない。

と最初に明示しておかないといけないようなタイトルではありますが。

 

生きる意味が未だにわからないアラサー(もうじきアラフォー)であります。

 

死にたいわけではないけれど、ふいに風に溶けるように消えてしまいたいような心持ちが訪れることはあります。

 

何のために生きてるんでしょうね。

 

35を目前にして、結婚の予定はない。

願望は歳が一桁の頃からあるわけですし、叶えるために男性とお付き合いをしたこともあります。

決して結婚がコールだと思っているわけではないですよ。

結婚しなければ生きていけないような暮らしをしているわけでもないです。

 

このままいけば老後も安泰な貯金と投資をしながら、趣味に勤しみ、将来のために勉強も怠りません。

 

趣味は旅行にマラソン、読書にサイクリング、テレビゲームや映画も好きです。

やりたいコト見たいモノ行きたい場所。

あげればキリがなく、自分の持つお金を時間を何に注げばいいのか日々頭を悩ませ。

この不況な時代に、男性の平均年収よりも多い金額のお給料をいただき、残業時間は年で30時間に達するか否か。

仕事は日々新しいことを学べて、やりがいもあるのです。

 

シングルでいても問題はないわけです。

 

友達がいないわけでもなくて、男女問わず遊ぶ相手はいて、週末に予定がない日がある月のほうが少ない。

 

私の姉には夫も子供もいて、子供に愛情を注ぎたければ姉の子供にいくらでも注げるのです。しかも責任は私になくて、私はただ愛して多少お金を出せばいいだけ。

 

私の生活を知ったら「代わってほしい」と言い出す人が、両手で足りないくらいいるに違いないのです。

 

なのに。

 

私は不意に消えたくなるのです。

 

完璧なんて存在しないし。

私は今だって毎日幸せで。

概ね安全なこの国で。

だらだらと過ごすことができるてるんですよね。

 

言論の自由度が世界で有数の高さで(同調圧力は高いですけど。どうやら私にはその圧力はまるで蓋が外れた圧力鍋のように効かなくて。)

好き勝手文句を言っても適度に無視してくれて。

 

綺麗な道路。(サイクリングがこんなにしやすい国が他にどこにあるんでしょう。)

丁寧な人々。

正確な電車。

 

時々息がつまることはあるけれど、自由。

何をするのも自由。

職業選択の自由があり、曲がりなりにも男女平等が法律上規定されていて、そりゃ完璧ではないけれど理想に向けて多くの人が努力していて。

 

こんなとこでこんなことで。

私は何を悩んでいるのやら。

 

昔好きだった漫画の主人公が

「(生きる理由が)何のためでもいいけれど。できることなら私は、『誰かのため』がいいです。」

と言っていて。

 

いいなあ。

 

それがいいな。

と思ったのです。

 

だけど私は未だに、私のためにしか生きていなくて。

それが未だに心の虚に澱が溜まるように。

沈み込んでいくのです。

 

誰かのためにいつか生きられるのか。

そうでないとしたら何かを私は見つけられるのか。

 

そんなことばかり。

考えては夜を過ごすのです。