自分を作る原体験ってやつ。
今日は飲み会でした。
会社がお金出してくれるお気楽ご気楽な飲み会なので、飲み過ぎることもなく平和。
懇親会というもので、知らない人たちと会話をするためにセッティングされた飲み会。
つまり、わりかし全く知らない人たちに囲まれて飲むわけです。
で、自己紹介をすることになったわけなんですけど。
「あなたの趣味はなんですか?」とかまあまあつまらない・・・もとい、知ってる人が多い私にはあまり新しい情報がなくて。
そのせいでぼんやりとしてあまり話を聞いていなくて。
代わりに自分の趣味とか、なんでそれが好きなのだとか、私はなんでこんな性格なんだとか、そんなこと考えていました。
私は、多分そこらの人よりロジカルに考えられる。
(ロジカルに説明できるというのとは、また別のお話ですけど)
なんでかな、て。
で、ふと気付いたのが、数独。
数独ってご存知ですか?
1から9の数字を埋めてくパズル。
9x9のマスに縦横そして3x3のそれぞれのマスに数字が被らないように入れていくんですよ。
小学校の時、私の父がそれにハマってまして。
私はそれが面白そうで。
ルールを聞いて、勝手に父のパズル雑誌を解いていました。
最初は簡単なものしかわからなかったんですけど。
だんだん数をこなしていくと、わかってくるんですよね。
最終的には雑誌の一番難しいやつ、なんだかポスターみたいに大きな紙にかかれたものまで解けるようになってしまって。
それが今の私の考え方の基礎を作ったのかな、なんて思うわけです。
この列にこの数字があってこの行にこれがあるから、ここにはこいつしか入らない。みたいな。
そういうことをずーっと自分で訓練してたわけです。
だからかな、って。
だから論理的に考えられるのかなあ、って。
だからちょっと、正しい答えがそもそも存在しない問題(どっちに行っても地獄、みたいな)は苦手。なんですけどね。
同じような感じで、子どもの頃から他人の顔色を伺って生きてたせいか、目の前にいる人がどんな感情かわかる。今不愉快なんだな、とか、あ、ちょっと嬉しいんだな、これが、とか。
今でも顔色を伺ってしまうし、そんな自分が嫌になることもあるけれど。
誰かが傷付いてる姿をみて、他の誰も気付いてないけど、私だけが気付いて、その人に寄り添ってあげることができたりした時は。
ああ、こんな私の臆病な性格も、役に立ったんだな、なんて思うのです。
つまらないことや忘れてしまいたいことはたくさんあるけれど。
自分を作った一つ一つを理解して、それを生かして生きていけることは、結構しあわせなことだなあ、なんて思うわけです。
自分の好きなところや、嫌いなところがあったら、「どうしてそうなったんだろう。それは、どこかで役に立つだろうか、」って考えると。人生はすこーし、いまよりすこーし。
面白いかもね。