解像度が違うのだと思う

友人に、物事を非常に細かく捉える人間がいる。

私は彼女ほどではない。

彼女曰く「お前は大雑把」なのだそうで。

 

例えば私は俳優のAさんと及川光博さんを「似てる」という。

顔が仔細に似てるということではない。

 

脚の長さであったり、真剣な表情であったり、目が細いところやキザなセリフを平然という所、あとは唇が赤いところが似ている。

 

彼女は「全く似ていない」という。

雰囲気すら似ていない、と。

 

私は田中圭さんと向井理さんがそっくりだと言う。

彼女は全く似ていないという。

 

これは何もそっくりさんか否かの意見に限らないのだ。

 

仕事の話をしていても、私は「それは◯◯の件と似てるね。」という。

彼女は「同じなのは××という点だけで、全く似ていない」という。

 

結局私が折れて「そうね、貴女の言うとおりね」と言って終了する。

彼女は私を言い負かして上機嫌になる。

見え方が違うだけで、同じ話をしてるのだけどなあ、と諦める。

 

それはただ解像度が違うのだと思うのだ。

 

緻密に編まれたレースが、近付いて見れば芸術的な細かさがわかるものの、遠くに行くとただの白い布となんら変わりなく見えるのと似ている。

 

彼女は彼女の距離から捉えたものを、レースのように仔細に私に話してきかせる。

私はそれを聴きながら、また白い布の話か、と言葉にする。

 

そのような感じなのだ。

 

どちらが悪いとか良いとか、上とか下とかないはず。なのだが。

 

今日も彼女は私を言い負かそうとしている。

いや、レースの美しさを伝えようと必死になっている。

 

私はレースに興味がないけれど、彼女がそのレースを愛しているのを知っているから、友人としてそのレースの美しさをできるだけ理解しようと努めるのだ。

私には、そのレースの美しさを感知できるだけのセンサーが、備わってないにも関わらず。