幼い頃に刻まれた
初恋はピッコロさんである。
じゃじゃ丸ピッコロポロリではなく、ドラゴンボールのピッコロさん。
(マジュニアの方)
幼心にハンサムだと思っていたし、性格もかっこいいし、強いし弱い。
毎回あの「ズシャアァ」という効果音とともにターバンとマントを投げ捨てる姿が好きだった。
そのせいなのかどうなのか、私は人間が好きになれない(もっと言うと人間以外を愛してしまう)という人を、特段気持ち悪いと思わない。
「あ、そうなのね」程度である。
まあ、気持ち悪いという人もいるのも理解できるし、声を大にしていうことでもないとは思うが。
子供の頃好きだったものに、セーラームーンとカードキャプターさくらがある。
どちらも漫画を集めていた。さくらの方は「CLAMPの漫画なのに安い」という理由で買った気がする。(あの頃400円くらいで買えるCLAMPの漫画は多分カードキャプターさくらと東京バビロンくらいだったと思う。)
どちらも今にして思えば、かなり『現代的』だったと思う。
セーラームーンは割と堂々と女の子同士で恋をしていた気がするし、男の子がセーラー戦士になっていた。
さくらは女の子が女の子を好きだったり男の子が男の人を好きになったり、恋が自由で特にそれによって誰かが責められるというシーンもない。
男の人を好きになった男の子はその後女の子を好きになっていたし。
それが普通であるように描かれた世界の漫画を読んでいたので、性的な嗜好を「Politically Correctly」とかそういうのとは関係なく、「そういうもんだろう。」と思うようになっていたと思う。(というより、性別がどうと言うことがなかった気がする。)
友人にはそういう人が多く、よって「キモい」と平気で言う人の気がしれない(それはそれで弊害な気もするが)ということがある。
海外で暮らしていた時に、宗教上の理由で同性愛が一切認められない人たちと話をした時は平行線だった。
曰く「人間は子供を産まなければならない」のだそうで。
(と言うことは、子供がいない私は異性愛者であろうがなかろうがその宗教ではダメな人間なのだろうな)
子宮がない人はもはや救いがないのか、とか。そう言う話をしたが「それは関係ない」というし。
まあ何が言いたかったかと言うと。
「何を愛するかは自由で、それを他人はどうこう言ったりしない」
というのは、「それが普通なんですよ」という世界を作ることさえ出来れば、きっと続くのだろう。